佐原 紀行  ゾウの歯とウマの歯

05.7.13 硬組織疾患制御再建学講座 教授 佐原 紀行

 今年(2005年)3月から開催されている愛知万博(愛・地球博)では、一万年前に絶滅したとされるマンモスの頭部や足の一部が展示されています。更新期(大氷河時代)には、様々な種類のマンモスが南アメリカをのぞいたすべての大陸に広く生息していましたが、ほとんどは絶滅してしまいました。今回展示されている冷凍マンモスはその中の毛長マンモス(Wooly mammoth)と呼ばれているものです。現存するアフリカゾウやインドゾウの先祖は、これらのマンモス類のある一つのグル−プであると考えられています。

 さて、本題のゾウの歯とウマの歯のお話しをしましょう。ゾウとウマは見た目もまったく異った動物ですが、両者の臼歯に関しては類似した点が多くあります。まず、共に長冠歯・高冠歯と呼ばれている臼歯を持っていることです。長冠歯は、エナメル質の形成が萌出後も長い間継続し、その後本来の歯根が形成されます。つまり、エナメル質は咬合面から歯槽部の深部までの長い幅で歯の表面に形成されるので歯冠が長くなります。一般的に、草食性の動物の臼歯は長冠歯です。草や葉を擦り潰して咀嚼する方法は臼歯の咬耗も激しく、これに対応するため歯冠が長くなったのでしょう。ちなみに、ヒトやほとんどの動物の臼歯は、歯冠のエナメル質は萌出前に形成が終ります。このような“短い歯冠”を持つ歯は短冠歯・低冠歯に分類されます。なお、ネズミの切歯、ウサギやモルモットの臼歯のようにエナメル質形成が一生継続する歯は無根歯・常生歯と呼んでいます。長冠歯は、短冠歯と無根歯の中間の位置にある歯だと考えれば分かりやすいと思います。

 歯のほとんどの表面がエナメル質で覆われた長冠歯には、不都合なことが起こります。歯を顎骨に結合している歯根膜線維はエナメル質には結合できないからです。そこで、長冠歯ではエナメル質表面にセメント質を形成し、そのセメント質に結合した歯根膜線維を介して歯の支持をする工夫がなされています。
 また一部の長冠歯では,歯の形成時に特徴的な変化が起こります。まず、数個の葉状や円錐状に形成された象牙質の表面に、エナメル質が形成されます。次に、エナメル質表面がセメント質により被覆されます。これと同時に、内部に複雑に入り込んだエナメル質の空隙もセメントにより埋められ、最終的には楕円形をした冠歯部を持った臼歯が完成します。この一見不思議な現象は、咬耗が起こった臼歯の咬合面をみた時、なるほどと納得できます。図1にはゾウとウマの咬合面を示してあります。赤で示した部位はエナメル質で、その外周はセメント質です。エナメル質に囲まれている内部には象牙質があります。エナメル質は体の中で最も硬い組織ですから、象牙質やセメント質に比べ咬耗するのは遅れます。そのため、咬合面は洗濯板やおろし金のように凸凹になっています。ゾウやウマだけでなくウシ、ヒツジ、シ力などの草食性動物も同様な臼歯を持っています。草や葉を擦り潰して咀嚼するためには、洗濯板やおろし金のような凸凹のある広い咬合面を持った臼歯が最適であると言うことです。

 ゾウとウマの臼歯の類似点は他にもあります。それはエナメル質表面を覆うセメント質が形成される時に認められます。ほとんどの草食動物の臼歯ではエナメル質とセメント質の境界面は平坦です。しかし、ゾウとウマの臼歯に限ってその境界面は凸凹しています。どうして凸凹な境界面ができるのか検討するため、わたしたちはウマ臼歯の発生過程を観察してみました。その結果、形成されたエナメル質の表層が破歯細胞により一旦吸収された後、セメント質が形成されることを明らかにしました。ウマ臼歯のエナメル質とセメント質の凸凹な境界面は、破歯細胞により吸収されたエナメル質表面の吸収窩によるものでした。一方、ゾウの臼歯では境界面の凸凹はウマに比較すると大きく、肉眼でも確認できるほどです。このことから、破歯細胞によるエナメル吸収以外にも他の要因が関与していると考えられますが、詳細については現在でも不明です。では、ゾウとウマの臼歯だけがエナメル質とセメント質の境界面が凸凹なのでしょう?一つのヒントは、エナメル質表面を被覆しているセメント質の厚さです。前にも触れましたが、ウシ、ヒツジ、シ力などの臼歯でもエナメル質はセメント質で被覆されています。しかし、そのセメント質は極めて薄い層しか形成していません。一方、図1に示したようにゾウとウマの臼歯は非常に厚いセメント質が被覆しています。そこで考えられることは、エナメル質表面の凸凹は厚いセメント質を強固に結合するため、接着面積を拡大するという役割を果たしている可能性です。なぜゾウとウマの臼歯だけそんなに厚いセメント質があるのでしょう。おそらく、ゾウとウマの臼歯には、擦り潰して咀嚼する時に強大な力が加わっているからでしょう。良く知られているように、ウシ、ヒツジ、シ力はともに反芻動物で、消化を助ける四つの胃袋を独自に工夫開発した動物です。彼らはゾウやウマのように臼歯だけに頼った咀嚼・消化はしていません。そのためセメント質の被覆も薄く、エナメル質とセメント質の境界面は平坦のままで十分なのかもしれません。

 ゾウとウマの臼歯の類似点についてお話ししてきましたが、最後に、臼歯だけを使って咀嚼を行っているゾウやウマが臼歯の過剰な咬耗に対してどのように対処してきたか、両者の対応策の違いについて簡単にお話しします。ゾウやウマのように臼歯の擦り合わせによる咀嚼だけに頼っている動物にとっては、咬耗は死活問題です。実際、ウマの臼歯は毎年約2〜3mmの割合で咬耗します。臼歯の長さは約6〜8cmですから、ウマの寿命は30〜40歳位と逆算することができます。
 始めにウマが選んだ対応策からお話しします。まず彼らがやったことは、臼歯の咬合面の面積を拡大すると共に歯の長さを長くすることでした。次に臼歯を同時に顎骨に並べました。ウマは小臼歯12本、大臼歯12本、計24本の臼歯を持っています。ウマの臼歯で特徴的なのは、小臼歯が大臼歯とほとんど同じ大きさであることです。また、ウマは他の哺乳動物のように乳歯と永久歯が交換しますが、乳歯と永久歯の咬合面の大きさはほとんど同じです。このようにウマは、可能な限り咬合面を拡張することで臼歯の過剰な咬耗に対処しました。そのお陰で、ウマの顔のほとんどが顎で占められるようになったのです。
 ゾウの選んだ対処法は、次のようなものでした。彼らは臼歯の咬合面を拡張すると共に、エナメル質の模様をさらに複雑化しました。次にとんでもない思い切った方法に出ました。それは、機能する臼歯の数を最小限にとどめ、他の臼歯を歯胚として顎骨内に蓄える事にしたのです。ゾウの常時機能している臼歯は上下顎で4本で、それらの臼歯が咬耗すると脱落し、後下にある歯胚から成長した別の臼歯に置き換わります。ゾウは24本の臼歯(歯胚)を持っていますが、そのうち12本は乳臼歯です。臼歯の交換は乳臼歯から始まり、ほぼ水平方向で次々と交換が一生続きます。ゾウは臼歯の過剰な咬耗に対応して水平的な臼歯の交換法を独自に開発しました。このゾウのたくましさには、ただただ脱帽です。余談になりますが、今回愛知万博で展示されてる冷凍マンモスの顎をレントゲン写真で調べた結果、臼歯の後方には歯胚などは認められませんでした。臼歯は最後の臼歯であることから、かなりの老齢のマンモスであると考えられています。

 愛知万博に展示された冷凍マンモス標本に誘発され、日頃考えていたゾウとウマの臼歯の類似点について簡単にお話しさせていただきました。長い進化の過程で、動物たちが食性の違いにより臼歯に施してきた様々な創意工夫に少しでも興味をもっていただければ幸いです。

P.S.
 マンモスやゾウの最も特徴的な長く伸びた牙のことについても簡単に触れておきます。
ゾウの牙はその名前のとおり象牙質でできています。しかし、他の多くの動物の牙のように犬歯ではなく、上顎の側切歯が変化したものです。マンモスやゾウの牙も一生涯伸び続けます。牙は常生歯・無根歯に分類されます。以上の事実を踏まえて、マンモスの牙を支持している歯周組織はどうなっているのだろう、牙の歯根にはセメント質があるんだろうか、歯髄、象牙芽細胞、象牙細管はどうなっているんだろうか、さらには、牙の伸びる機構はどうなっているんだろうなどと皆で考えてみるのもいいでしょう。


図1、ゾウとウマの臼歯の咬合面。
エナメル質は赤、セメント質は青、象牙質は黄色で示してあります。
臼歯の形成過程で内部に入り込んだエナメル質が咬合面に複雑な模様を描いているのがわかります。
このエナメル質の模様は動物の種や臼歯の種類によっても異なっています。
ゾウの臼歯は約1/3倍、ウマの臼歯はほぼ原寸大で示してあります。

ゾウの臼歯(インドゾウメス23歳) ウマの臼歯(下顎第三小臼歯)