(2022.3.18) 奥村雅代 「夢でもみたんじゃないの」

(2022.3.18)顎口腔機能制御学講座 講師 奥村雅代

 大学院のコラムではあるが、ここはあえて研究とはまるで関係なく、他人に話すほどのことでもないけどずいぶん昔からこころの片隅に引っかかっている小ネタを書いてみようと思う。
これは、なんかちょっとホラーなのか、それとも私の記憶力がちょっとアレなだけなのか、よくわからない話である。
おそらく後者なんだろうけども。


ひとは誰しも寝ているときに夢をみる。
でも、一般的に「夜、こんな夢をみた」と自覚するのはいつだろうか?
目を覚ましてすぐにさっきまで見ていた夢を思い出すのか、それとも起きてしばらくしてから「そういえばこんな夢をみたな」と思い出すのか。
思い出したとして、それが夢での出来事だったのか、現実に起こった出来事だったのか、どう区別するものなのだろうか。
現実と区別できない夢というのは、どのくらいあるものなのだろう。



小話1「忘れられないはずの大火事」
その日、実家を離れて一人暮らしだった大学生の私は友人と他愛もない話をしていた。
特に印象的な話でも重要な話でもなく、占いがどうとか、そんなとてつもなくしょうもない話だったように思う。
そのしょうもない会話の最中、私の頭の中に突然ある記憶がよみがえった。
それは子供のころに実家の前に立って眺めた、とある光景に関する記憶だった。

やや薄暗くなりつつある夕暮れ。
実家の北側を流れる川の向こう側、家々が疎らに立ち並ぶ林の中を、小高い丘の上へ上り坂が続いている。
その上り坂の左側、畑に囲まれてポツンと建っている2階建ての一軒家が、燃えている。
周囲を照らしながら、燃え上がっている。
小火などという生易しいものではなく、ビルの3、4階に相当するほどの巨大な火柱のような業火に包まれて、一軒家が丸ごと燃えている。
10歳前後の私は、ざわつく周囲の人と一緒に川のこちら側からその光景を呆然と見ている。

私の頭はハテナでいっぱいだった。なんだろう、この記憶は。
友人と火事や火にまつわる話をしていたわけでもなく、実家や地元のことを思い出していたわけでもないのに、なぜ脈絡もなく突然こんなことを思い出すのか?
そしてもっと不可解に思えたのが、こんな衝撃的な光景を目撃しておきながら火事から10年以上経ったこのときまで、私が一度もこの火事のことを思い出さなかったことだった。
一度思い出してしまった記憶はえらく鮮明で、しばらくは火を見るたびに思い出されたが、冷静になればいろいろ推測もできた。
大きな火事を見て、ショックのあまり記憶が封印されていた、とかだろうか。
もしかしたら火事そのものも、私の記憶の中でデフォルメされているだけで、本当はそれほどの火事ではなかったのかもしれない。
いくら一軒家が全焼しても、あんな巨大な火柱ってちょっとありえない気もするし。
そうだ、実家に帰省した時に確認してみよう。

年末に帰省した折、まず川の向こう側を見上げてみる。
見慣れた地元の光景の中、記憶の通りの上り坂、記憶の通りの畑。でも一軒家はない。火事の後は更地のままなんだろうか。
母と姉に聞いてみた。
「10年くらい前にさ、あそこの家で火事があったよね?あそこってあの後ずっと更地なんだっけ?」
二人の返事は予想外のものだった。
「、、、火事って、どこの?」
二人はなにも覚えていなかった。
火事のことどころか、畑の中に一軒家があったことすらも、覚えているのは私だけだったのだ。
これはどういうことだ。あんなに大きな火事だったのに二人とも覚えていないなんて、そんなことがあるだろうか?
それとも私の火事の記憶がまるごと偽物なのか?こんなに鮮明なのに?

結局この件に関しては水掛け論のまま有耶無耶になってしまった。
だがこの時に私は、似たような出来事が以前にもあったことを思い出したのだ。



小話2「特級呪物・両面宿儺の指じゃあるまいし」
その日、小学校卒業間近の私は、学校で友達と他愛もない話をしていた。
特に印象的な話でも重要な話でもなく、子供らしいとてつもなくしょうもない話だったように思う。
そのしょうもない会話の最中、私は突然自分のなかに妙な記憶があることに気が付いた。
それは物心つくかどうかの幼い頃の記憶だった。

地元の小さな神社の社殿の中であろう屋内で、ろうそくの炎のような揺れる灯りが周囲を照らしている。
祭壇に向かって左右の壁際に並んで座っている大人達と共に、幼い私もおとなしく右手の末席に座っている。
儀式めいた雰囲気のなか、神主を思わせる袴姿の男性が、順番に皆になにかを配っている。
皆と同様に私の手にも乗せられたそれは、焦げたような茶色で小指の先ほどの大きさの干からびたような何か、だった。
周囲を見渡すと大人たちはそれを恭しく口には運んでおり、皆に倣って私も「それ」を口に入れた。
そして私は思った。
「あ、しおからい。こんな味なんだ、ヒトの肉って」

いやいやいや!なんだ、この記憶は。
いくら記憶がこの上なくリアルで鮮明であっても、当時の私がおバカの小学生であっても、この記憶に対しては「そんなわけないでしょ!」という感想しかなかった。
頭の中がハテナでいっぱいになり、おおいに混乱した私は母と姉に聞いてみることした。
「こんな出来事なんてあったっけ?」
二人の返事は予想通りのものだった。
「、、、あんた、なに言ってんの?」
そりゃそうだろう。

以降も記憶はずっと頭の中にあるままだったしわけがわからないままだったが、他人に話すにはオカルトすぎて、この話を他人にすることはほぼなくなった。



さて、これらの話はどちらも謎のまま終わってしまっているのだが、現在の私の中では「まあ、そんな内容のリアルな夢でもみたんだろうな」と解釈されている。というか、することにしている。
だって、それ以外に説明のしようがないし。
でもそうだとしても次に気になるのは、この2つだけだという保証がどこにある?ということだ。
私が疑いなく現実の出来事だと思っている記憶がほかの人の話と一致しない、ということが他にもあるのではないか?
この2つは事象の特異性から現実との擦り合わせに至ったから気付けただけで、私が気が付いていない「偽物の現実」が、他にもいくつも私の頭の中にあったりして。

と、こんなことを書いている最中にも一つ思い出したことがある。



小話3「消えた少年」
数年前、イギリスのヘンリー王子とメーガン妃に第1子誕生、というニュースをぼぉっと眺めながら、私は思った。
「メーガン妃の連れ子君の話はどのニュースにも全然出てこないなぁ、なんでだろ」

いやもう、本当にそう思っていた。
その後ちゃんとググったので、現在の私はメーガン妃が再婚ではあっても子連れではなかったことを知っている。知ってはいる。
でもでも。うそやん。
ヘンリー王子とメーガン妃の婚約のニュースで10歳くらいの男の子をはさんで3人で並ぶ光景とか、これからは家族として過ごすだのなんだのという王子のコメントとか、なかったっけ?
いや、あったよね?!



そうか。これも私がみた夢のはなしだったのか。
それにしても、これって私だけのことなんだろうか?他の人は現実と区別できない夢を見て混乱したりしないのだろうか。
同じような経験のある方がいるなら、ぜひとも聞いてみたいところである。

ここまで書くとなんだか私が現実と空想の世界を行き来するヤバい人みたいだが、冒頭に書いた通りこれらのことはせいぜい心の片隅にごく小さく引っかかっている程度であって、実生活に不都合を与えるような事例は一度もない。
私自身は、夢の内容とはいえきっと重大な過失につながらないように無意識の私がコントロールしてるんだろうな、と都合よく解釈することにしている。
ありがとう、無意識の私。
とはいえ、小さな「偽物の現実」はこれからも私の頭に表れて私を困惑させるのかもしれない。
今後、私が妙なことを口走っている現場に遭遇した方には、そっと私に教えてやっていただきたい。
「夢でもみたんじゃないの」と。