仲座 海希  僕の大学院生活

(2025.2.21) 顎口腔機能制御顎講座・咀嚼機能解析学 2024年卒

 『その夜、増穂はひとりでグラスを傾けていた。まだ、今日の成功は第一歩を踏み出したに過ぎない。でも、大学院生たち若いスタッフの意欲と工夫が不可能を可能にするかもしれない。
ここ信州でもっといい夢が見れそうである。』
これは20年前に投稿された僕の指導教諭の大学院コラムを締めくくる言葉だ。
僕の大学院生活の中で、一瞬でも指導教諭にこうした思いを抱かせることがあっただろうか。もしそうなら、僕の大学院生活にも価値があったのかもしれない。しかし、そう振り返る自信はない。
大学院生活の初期、研究はうまくいかず、方針も定まらず、ただの義務のように感じていた。新しいことを学ぶ楽しさよりも、目の前の治療や日常に追われ、研究の基礎を教わっても、それが何を意味するのか理解できず、しようとも思わなかった。ただ時間が経てばなんとかなると、生意気にも楽観視していた。
研究では、既存のデバイスから得られるデータをAIで解析することを目標としていた。人工知能、ディープラーニング、コード解析、スペクトラム変換、機械学習———覚えたての専門用語を並べ、理解しているふりをしていたが、実際にはその意味はほとんど理解できていなかった。そもそも研究室にAIに詳しい人間はおらず、僕自身もただ難しい単語を並べて格好つけるだけだった。
当然、そんな状態で研究が進むはずもなく、すぐに行き詰まった。
そこで、「とりあえずAIに詳しい人に聞けば何とかなるのでは?」という安易な発想から、AIを活用している先生のもとを訪ねることにした。しかし、受けた説明はAIの基礎知識や解析の前処理を理解している前提で進み、ほとんどついていけなかった。知識の乖離が大きすぎて、もはや別の言語のように感じた。気づけば日が暮れ、「無理っすよこんなん」と、またしても指導教諭に対して切れ気味に意見を伝えていたのを覚えている。
実はそのころ、義理の父の体調が悪化し、歯科医院の経営を担うことになっていた。治療、経営、保険算定、人事管理——すべて未知の領域だった。手取り足取り指導する師も同期もおらず、毎日が不安と焦りの連続だった。こんな日々を過ごす中で、研究と診療の両立は難しく、どちらにも自信を失い、すべてを投げ出したくなることもあった。
そんなとき、藁にもすがる思いで「AIを使った研究のためにAIを活用するのはどうか?」というアイデアが浮かんだ。AIを使いこなすためにAIを使うなんて馬鹿げていると半ばふざけながら解析手法の提案とコード作成に生成AIを導入してみると、これが意外にも役に立った。データの前処理やスケール調整のコードを改良し、解析の精度も向上した。さらに、AIを使うことでAIそのものへの理解も深まり、未知の領域だった研究が少しずつ面白くなっていった。
しかし、AIを活用する中で最大の壁となったのは、ハルシネーション(幻覚)の問題だった。AIは論理的に見えるが、時に誤った結論を出す。最初は生成されたものを信用していたが、細かく検証するうちに違和感を覚えるようになった。
そこで、論文を何本も読み込み、手元のデータとAIの出力を照らし合わせる作業を繰り返した。誤りの傾向をつかみ、前処理やパラメータ調整を重ねることで、少しずつ精度が向上していった。試行錯誤の結果、AIの出力をそのまま鵜呑みにするのではなく、自らの知識をもとに判断する重要性を学んだ。ここを蔑ろにしてしまってはAIが作りだした幻覚の中におぼれてしまうのだ。
それでも、試行錯誤を重ねるうちに、手応えを感じる瞬間が増えていった。新しいアルゴリズムを試すたびに結果が変わり、その違いを分析し、次の改善策を考える過程が楽しくなった。コードを修正するたび、予測精度が上がるのを実感する瞬間には、これまで感じたことのない達成感があった。気づけば、研究に没頭していた。
かつての自分には想像もできなかったことだ。試行錯誤の中で、研究に対する姿勢が変わり、将来について考えるようになっていた。きっと、かつて指導教諭も同じような感覚を抱いたことがあったのだろう。
指導教諭が僕との時間をどう感じていたのかは分からない。もしかすると、期待よりももどかしさのほうが大きかったのかもしれない。
それでも、20年前のコラムを目にした時、そこに自分の歩んできた道と少しだけ重なるものを感じた。今なら、あの言葉の意味がほんの少し理解できる気がする。
コラム執筆にあたり、指導教諭である増田裕次先生から「俺のコラムと関連性を持たせて書いてみろ」との無茶ぶりを受け、そのコラムを参考にしながら冒頭の一文に関連づける形で書いてみました。結果として、ただの振り返りになってしまいましたが、勉強の仕方が分からずに停滞していた自分が、あるきっかけで前進し、学ぶことの楽しさを実感できた経験は、今後の糧になると考えています。
(軽い気持ちで書いてみました。拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。)