伊能 利之  未知なる道を既知に

(2023.4.6) 松本歯科大学病院 初診室(総合診断科・総合診療科)2021年学位受領

 今回、この大学院コラムを依頼されたのは、実は1年以上も前になります。
2020年に持ち込み論文の学位授与をいただき、その後平岡教授からコラムを書いてみませんかとメールをいただきました。
当初依頼された時に、はじめて大学院コラムを拝見させていただきました。先達の大学院生の方々のコラムを拝見させていただくと、少し気おくれがありました。先に書いた通り、自分は大学院や社会人大学院の過程を経ておりません。私の文章が掲載されるというのをイメージすると、どうも筆がたじろいでしまったのです。その後、再度平岡教授より依頼のメールをいただき、今回は遅まきながらも一筆取らせていただく運びとなりました。

私は、大学病院で勤務しながら、大学のコミュニケーション教育実習のお手伝いをしていました。教育実習中も、学生の成績や実習に対する漠然とした感想もありました。そんな時、音琴教授より、この教育実習で得られたデータから、論文を作成しないかとのお誘いをいただきました。
 臨床予備実習における学生の成績をまとめていくことで、最初はどんなところが苦手なのか、その後どのように成長していくか、日本人学生と留学生との間に差があるのか、などを数値化していきました。
実習で得られた大量の数字とにらめっこしながらデータをまとめていきました。0、1、2と似たような数値を延々と目の当たりにしていくと、それが霧のように感じて、目が回りました。ですが、いざ一つにまとまると、そのデータが意味をもって、「ああ、そういうことなのだな」と霧状だった感想が理論を纏い形となってすとんと腑に落ちた音がしました。まさに「五里霧中」の外に出て、その形を俯瞰で眺めているような感覚でした。
あやふやなものや分からないものを形にするというのは、まさに研究の根幹であるのは、誰もがご存じのことだと思います。ですが、実際にそれを形にしたものを目の前にすると、何とも言い難い達成感がありました。
私は当時から初診室で、初めて病院に来られた患者さんの初診時医療面接をさせていただいておりました(もちろん処置診療も精一杯させていただいております)。そこでは、臨床予備実習を受け、試験に合格し、臨床実習に励んでいる学生もいます。また、さらにその先の、国家試験をも突破した研修医もいます。彼らも同じように、我々の初診時医療面接を見て学び、実践しています。彼らを臨床の場に導くためには、3年生の座学から臨床予備実習生、臨床実習生、研修医と連続性をもたせた教育が必要です。そのためには、ただ現場を見せるだけでなく、教育も改良していく我々自身の努力も必要があるかと思います。
先ほど、霧の形を目にしたというような表現をしました。この霧は、我々指導者側が漠然と感じている「実習生の苦手なところ」や「日本人学生と留学生の受け取り方の差」です。この霧を払い、実習生を導くには、まず指導者が霧をしっかり認識すること、つまりは研究・分析が不可欠であり、そしてその結果から、よりよい「指導者の教育方法」を編み出していく必要があると思っています。

この大学院コラムを見られている方々の多くは大学院で研鑽を積まれているかと思います。論文博士取得者の立場からすると、私よりはるかに研究・分析という、分からないものを認識・明確にし、その結果から新しい発見や改善を編み出していると考えると頭が上がらない思いです。そう思うと、今回の論文の件で、研究や分析、そしてそこから得られる新たな改善策の立案は、大学病院に勤務する一人として、臨床の現場で教育を行う立場の人間として欠かせない生涯学習の一つであり、未知なる道を既知とし、世界を拡げる石(意思・医師)を穿つ一歩であると再認識しました。

最後に、慣れない研究でずるずると期間を伸ばしてしまった私に対し、根気よくご指導と激励、相談を続けていただいた音琴教授、関係者である初診室医局員の皆様方、期間が開いても当コラムにお誘いいただいた平岡教授に感謝させていただきます