教員コラム 「北斎を追って」

(2007.11.26) 硬組織疾患制御再建学講座 教授 長谷川 博雅

 題材自由ということなので、私の趣味である「寺社仏閣巡り」であったことを取り上げます。なんとも暗い趣味ですが、これが思いがけないものに出会うこともあります。もちろん目的を持って訪問することもありますが、偶然の産物であることも多いのです。そのときの驚きや感激は、病理組織標本で病変と遭遇したときのそれと変りません。数年間に訪れた小布施のお寺から始まった小旅行を紹介します。

北斎ゆかりの岩松寺を訪ねて

痩蛙の飛び込んだ池?

 葛飾北斎が信州小布施と深い繋がりがあることは有名で、「栗のまち」小布施は北信の代表的な観光スポットです。院生のみなさんも信州にいる間、一度は訪ねてみては如何でしょう。小布施には北斎の浮世絵などを展示した美術館である「北斎館」がありますが、街外れに「岩松院」という曹洞宗の古刹があります。わたしのうちも曹洞宗ですが、この本堂には北斎が描いた「八方睨み鳳凰図」があり、4年前に訪れました。150年前の作品です、本堂大広間の天井には、今も鮮やかな色彩を保って鳳凰が飛翔しています。もちろんこの絵が目的でしたが、この古刹には「やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり」の句を小林一茶が詠んだとされる件の池があったのです。また戦国武将の福島政則公の霊廟もありました。政則公が石高約1/10の北信濃に国替えされ、高山村(旧高井村)の小さな屋敷が終焉の地だったのです。話しは逸れましたが、北斎が北信濃の豪商である高井鴻山の招きで80歳半ばで江戸と小布施を往来しているのには驚かされます。

元浅草 誓教寺を訪ねて

意外と簡素な浄土宗 誓教寺

 北斎が小布施に訪れたのは天保13年(1842年)の83歳の時で、4回にわたって訪れているようです。最後はなんと逝去する2年前、88歳のときです。今なら長野電鉄特急で24分、長野新幹線を乗り継いで上野までは97分ですから、乗換えを考慮しても浅草まで3時間もあれば行くことができます。最後の信州の旅を終えた2年後、90歳のときに浅草で亡くなったということです。どのようにして88歳の北斎が浅草に帰ったのか解りませんが、仮に籠を乗り継いだとしても恐ろしい時間を費やしたはずです。岩松寺には北斎が2年後に他界し、浅草の浄土宗 誓教寺で弔われたと書かれていました。そこで、研究会で上京した際に訪ねることにしました。浅草の地理は不案内で、誓教寺にたどり着くまでに数件のお寺を訪れ、やっとたどり着くと、予想に反して古びたお寺でした。

北斎翁の墓

古刹と呼ぶに相応しく、裏手の狭い墓地の一角に、北斎翁のお墓を見つけました。遠山金四郎の墓などとは比べようもないほど簡素なものです。これをきっかけに、谷中、目黒から北千住などのお寺巡りが始まりました。都内の寺社仏閣は、京都とは比べものにはならないものの、意外な方の墓地や記念碑にも出会えます。例えば、今戸焼きで知られる「今戸神社」は境内で療養していた沖田総司の終焉の地であったことを知りました。

 県内でもできるだけ公的交通手段を使うようにしていますが、まとまった時間が必要です。ところが、京都や東京ではスポットを決めて散策することが可能で効率的です。「犬も歩けば棒にあたる」方式で歩きますので、ウォーキングとしても大変にお勧めです。