教員コラム 「読書徒然」

06.3.16 健康増進口腔科学講座 助教授 音琴 淳一

 大学院HPのコラム依頼文を拝読しましたら、先生からいただいた「玉稿」(注1)を掲載すると記載されておりました。私のような者の原稿が「玉稿」として受け取っていただき、掲載していただくのは恐縮してしまうのですが、午伏寺(注2)から飛び降りる気持ちで書かせていただくことに致します。

 「コラム」の定義は『新聞や雑誌で、短い評論などを載せる欄。また、その記事。』なので評論を書かなくてはならないはずです。今までの先生方の「コラム」を拝見すると内容はヒトへ向けてのメッセージあり、身辺報告あり、研究論あり、趣味や生活あり、家族の肖像ありと様々です。ということは日本的慣習に従えば、本サイトにおいては内容にこだわらなくても良いようなのですが、基礎医学における検証を大事にしたいと常日頃から考えている私にとっては定義から逸脱することがどうもできないので、ある評論をさせていただくことと致します。

 評論と言いますと普通思い浮ぶのは書評ですが、ある本だけ取り上げても面白みが欠けるので、本にまつわる話を織り交ぜて綴らせて頂きます。また本にまつわる話といっても、講義や医局であまり語らない書籍の内容についての文章の方が大学院生諸氏についてもコラムとしての興味があるのでは、と思い、最後には自分の読書とオススメ本について書こうと思います。幸い、このコラムには締切りはありますが、内容や字数についての制限が全く無いとのことですので、徒然に書き綴っていくことに致します。

 電子社会になってくると、このコラムの原稿もそうですが、キーを叩いて映像画面上で文字配列を確認しながら書くことが多くなっています。現在では作家のほとんどが手書きの原稿を書く方が少なくなっていると聞きます。手紙もダイレクトメールを除けばe-mailでやりとりすることが多いですし、本も電子メールで送信されデータを購入するシステムが確立されつつあります。その流れからいずれ紙で出来ている媒体がなくなってしまうと予想されています。

 果たしてそうなるのでしょうか。少なくとも原稿のチェックだけは紙の媒体、いわゆるゲラ(校正用原稿)というものが必要なのではないでしょうか。私の場合はPC画面上で見て大丈夫だと思っていましてもプリントして紙媒体にして見ると訂正が必要な場合が多いのが現実です。あらゆる本や雑誌の原稿も校正についてはゲラのないものは今まで経験がありませんので、このことからもゲラのない文章は考えにくいです。ただし、以上の論理展開もこちらの固定観念で、本そのものがなくなることを想定すればゲラもなくならざるを得ないのかもしれません。出版社の基本的なコンセプトが変更しなければそのようなこともないかもしれませんが、電子媒体における校正のミスを少なくするためには今までと違った教育による頭脳構造が必要だと思われます。ただし、その教育のためにはペーパーレスの教育、映像媒体を中心に教育を受けた世代が成長し、教育者として現場ならびに省庁で指導的立場となるのを待たなくてはなりません。そこまで考えると、教育そのものがペーパーレスで行うには相当(1世紀近く)時間を必要としていると感じます。実際に長女(3歳)もテレビより本を読み、聞くことで成長していっているようです。

 ただし、私は学習者が「読む」ことだけを考えると電子媒体でなんら問題がないように思えるのです。紙媒体が教育で必要なのは、今までも学習者が「紙媒体で読む」ことや映像により情報を収集することではなくて、文字や絵で表現することに必要だったからです。多少、例えが本来、タイピングが紙媒体のために必要であった欧米では、「文字を美しく書く」という概念は存在しておらず、教育の手法も教科書を必要としないものが多かったわけです。しかしながら、東洋では、とくに中国の影響を大きく受けた日本では、「文字を書くこと」に関しては「文字を読む」こととあわせて重要な位置を占めており、この文化が戦後瞬く間に消えつつあるのは寂しいものです。多分、もう一世代変わると、毛筆あるいは万年筆で必要に応じて丁寧に書面をしたためていらっしゃる方は大変珍しいことになっているでしょう。また、日本語ワープロでは日本的な美しい書体がプリントできるようになってしまっているので必要度がほとんど無くなっていることもあります。実際に私も21世紀に入ってから、年賀状の住所もプリントするようになってしまいました。そんな中で、本学においても数名、私の師事しております太田教授を含めてこだわりを持って万年筆や毛筆を使われている教授の先生方がいらっしゃいます。私も小学生の頃、叔母に教わった毛筆を忘れないようにと手元には常に道具を用意しておりますが、用意するだけでなく、しっかりと使わなくてはならないなと考えています。

 さて「読む」ということは電子媒体の場合、読むのには支障がないにせよ、どれくらいのものを読んだのか実感がないのが欠点となるでしょう。例えば、全集や長編を読むときに、今までであれば、読んだ分の紙の厚さやページ数や書籍の重さで実感することができました。難解な書籍はそれなりの装丁や函に入っていたものです。ところが、電子媒体の場合は読破したものの体感できる対象がないので、字数で判断するしかありません。実際に某国立大学助教授の人気作家は自身の公開日記で親筆状況を全て字数で表現しています。こちらは思わず原稿用紙で計算してしまいます。(この方法自体、自分がかなり古い考え方になっていると感じます。400字詰原稿用紙自体が既に無くなろうとしています。自分の周囲では大学院3年先輩の先生が学位論文を原稿用紙に清書させていました。(注3))作品名や論文数よりも「何字読んだよ!」と長女に言われる日も近いかもしれません。

 「読む」と一言で片付けていましたが、実は本を「読んだ」ということと本の「内容を理解した」こととは同意語ではありません。電子媒体の場合、文字を意味のあるものとして解釈するトレーニングをしていないと、他の画面から得られるテレビのような映像媒体のように極めて記憶に残りにくく、情報が素通りする可能性が高くなってしまいます。このコラムを読んでいただいている先生方は、ここから情報を得ようとするスイッチのオンとオフができるような習慣があるでしょうから問題ないのですが、文章表現を解読して、その内容をまとめたり、感想を表現したりすることができないと、内容の理解が深まりません。現在、学部教育で私は医療面接法の講義と演習のお手伝いをさせていただいておりますが、実は医療面接も患者さんとなるべき他人の言葉を「読み取る」必要があり、そのときにどのような質問で相手から情報を読み取っていくかという手法や手順も、まず日本語を読み取ることができていないと会話が成立していかない場合が多いようです。日本人である限り、日本語をしっかりと読み取り、話すことができるような教育は大学人、あるいは医療人の教養として必要不可欠のものであるのです。しかしながら、試験は大学入試、共用試験や国家試験がほとんどマークシート方式の試験になることは学習者の学問の深淵を覗こうとする若い力を削いでしまっているような気がしてなりません。(注4)解答を選ぶだけの結果が尊重されることは、解答に辿り着くまでの過程を重要視してきた学習者やその態度を否定し、ひいては良い文章や論文を書いたり推敲するトレーニングをする機会を確実に奪っているのではないでしょうか。

 閑話休題。そうは言いましても、私は「本を読む」ということが基本的に好きで、1年に約300冊ほど読みますので、専門書以外でも普段は本を手放さないのですが、やはり映像から得られるものよりは頭に入りやすいので紙媒体の本は手放せないです。しかしながら、今まで気に入った書籍はどんどん家に溜まっていくので、置き場に困っていますし家内安全の妨げにもなっています。その中で、研究を志していく人たちに是非読んで頂きたいと毎年大学院生諸氏にお勧めしている本が2冊あります。

 一冊はサイモン・シン著「フェルマーの最終定理」(文藝春秋社)。これは結論が古くから明らかになっていたこの数学の定理(注5)を何世紀にもわたって理論的に証明するに至った研究者達の歴史が書かれています。まさに段を積み上げていくように試行錯誤しながら、またこの定理を証明するために別の仮説を作りそれを証明していくというように少しずつ核心へ進んでいく様子がわかります。臨床で当たり前のように行われていることが果たして理論的に正しく証明できるのかどうか探求したいと考えている私は非常に感銘を受けた本です。数学に興味がない方でも科学に興味がある方であれば是非一読をお勧めできる素晴らしい本です。

 もう一冊は立花隆・利根川進「精神と物質」(文藝春秋社)。ノーベル生理・医学賞受賞の利根川進氏との立花隆氏が20時間に及ぶ徹底インタビューを通して、利根川氏の研究暦と生命科学の研究についてわかりやすく解説しています。全ての研究者が多分ぶつかるであろう障害についても書かれていますし、利根川博士の絶えることのない研究への情熱の一端を垣間見ることができます。1990年発行と決して新しい情報ばかりではありませんが、対談形式なので、研究初心者の方々や本を読むのが得意でない方々にとっても比較的読みやすいのではないかと思います。

 他にも活字としてお薦めしたい本は沢山あるのですが、そうなると段々、本HPのコラムとしての内容を逸脱してしまうので、そろそろ終わらせていただきます。

 今は、新書でも講談社のブルーバックス以外にも生命科学についての入門書やわかりやすい解説書が多く発売されるようになりました。医学者、数学者、工学者、哲学者などが書くエッセイも多く見られます。現在、松本歯科大学図書館にはこれら新刊本が次々と新着書架に入っています。専門分野の研究に没頭するのを妨げはしませんが、頭脳の活性化のためにも、良い論文を書くためにも紙媒体でじっくりと文字を読む時間を大切にしてください。(注6)

注1:相手を敬ってその原稿を言うことば
注2:松本市・塩尻市・岡谷市にまたがる鉢伏山にある真言宗金峰山午伏寺のこと。筆者の自宅付近にあります。
注3:して、ではありません。させてです。誰にさせていたかは敢えて書きませんが。
注4:筆者は昭和34年生まれ。第1回共通一次試験(現センター試験)受験経験者。第77回歯科医師国家試験合格(筆記・実技試験なし)。
注5:Xn+Yn=Zn このnが3以上の時、この式が成立する自然数の解は存在しない。
注6:この文章の誤字脱字あるいは不適切な表現がございましたら、訂正いたします。
otogoto@po.mdu.ac.jpまで御連絡ください。