教員コラム 「生み出ずるPh.D.」

硬組織疾患制御再建学講座 教授 平岡 行博

 私の母校には、作曲家であり放射線物理学の教授、という人がいた。彼は大学進学の時、音楽へ進むか物理へ進むか迷ったが、芸大の入試に数学が無いことに憤慨し、物理へ進んだという。彼に言わしむれば、数学のない学問は信じるに足りないとか。なるほど賢人の語りにも、音楽は「魂が知らず知らずのうちに数を数えること」(ライプニッツ)であり、また音楽は「鳴り響く数であると同時に鳴り響く幾何学でもある」(キルヒャー)、とある。ヨーロッパ中世の大学は、哲学、法学、医学、神学の4学部で構成されており、七自由科と呼ばれる三学(文法、修辞学、論理学)四科(算術、幾何、天文、音楽)を学んだ後、最初に哲学部に進み、その後、哲学部に残るか、神学、法学、医学の三学部へ進学するシステムであったそうだ。ここでも音楽は数学系に属している。「音学」ではなく「音楽」なのに、というのは東洋人の感性であろうか。芸術家や中世の考え方は、神秘に富んで面白い。
 
 さて、Ph.D.についてである。
中世の大学では、現在の自然科学、社会科学、人文科学などは全て「哲学」に入っているため、これらの分野の博士号は「哲学博士−Philosophiae Dr.(ピロソピアエ・ドクトル:ラテン語)」と呼ばれる。現代でもこの伝統が生きており、歯学博士でも農学博士でも、経済学博士でも文学博士でも、英語表記はPh.D.である。因みに、医学博士が Medicinae Dr.(M.D.)というのは知っていたが、法学博士は Legum Dr.(LL.D.)、神学博士は Divinitatis Dr.(D.D.)というそうだ。中世の大学・四学部の各々で与える称号である。今回、コラムを書くにあたって初めて知った。
現代のPh.D.について時代錯誤の価値観を披露するつもりはないが、しばし、横道にお付き合い願いたい。
 
 科学が「自然哲学」と呼ばれていた頃、自然や宇宙は数学という言語で書かれている、と考えられた。数学で自然や宇宙の理(ことわり)を読み解く事が、自然哲学の課題であった。これは一見奇異に感じられるが、「真理」探求の1方法である「自然哲学」が本来「神学」の一分野であったという事実を考えると、さもありなんと思える。
 
 神学の目的は、神の存在、神の創造の業、神の栄光を明らかにすることである。テクストとして与えられた物が第一に聖書で、これはヘブル語やギリシャ語で書かれており、これを読み解く事で目的を達成しようとする。第二のテクストは、創造された「自然」、「宇宙」であり、これを数学で読み解き、神学の目的を達成しようとしたのが自然哲学である。であるからこそ、地動説を打ち立てたコペルニクスがカトリックの司祭であり、惑星運動の研究者である数学者 ヨハン・ケプラーの天文学が「天は神の栄光を語り 大空は御手の業を告げる」という聖書の言葉(詩第19編)に触発された、というのも頷ける。ガリレオは彼らの後に登場するが、数学を駆使するよりは望遠鏡の観察結果を重視して従来の自然哲学から大きく逸脱し、科学的事実は愚かしくも教会の権威によって抑え込まれてしまった。違った見方で言えば、この事件は、自然哲学が神学の範疇にあった事を示している。その後、教会権威の失墜はあっても、神学を背景に「真理」を探求する営みに変わりはなく、司祭にはならなかったがダーウィンもケンブリッジ大の神学生であった。遺伝学の祖、メンデルが修道士であった事は有名であるし、ビッグバン理論の提唱者の一人であるジョルジュ・ルメートルはカトリックの司祭であった。事程左様に、西洋文化では、「真理」探求の基盤に哲学・神学があったと理解する土壌ができあがっている。東洋文化では、例えば禅でいう対象との自己同一化、いわゆる「直接体験」あるいは「純粋経験」は、「真理」に迫り得る知性の限界を前提にして客観的な分析的説明を排除してしまうため、西洋でいう科学的方法論は発達しなかった。
 
 一方で、近代は科学が専門分化し、研究施設は教育機関のみならず企業内にも設置されて職業化し、技術情報は教育機構の構築と学会などの組織の整備を生み、社会システムの構成要素となった。明治期の日本は、このような社会システムをそのまま取り入れたため、「科学」と実利的な「技術」を同一のものとして受け入れてしまった。その結果、科学の世界史的意味、すなわち「自然哲学」としての側面は忘れ去られることになったばかりか、科学における純粋な理論的探究の側面よりは技術的応用の側面に目が向けられることになってしまった、とはよく言われる
 
 現代の科学・医療の技術は社会的受容期間を待つことなく発達し続けており、莫大な予算を消費しながら、環境破壊や資源枯渇などの社会問題を起こしているだけでなく、生殖技術に見られるような倫理問題も引き起こしている。これは優れて政治問題でもある。従って、現在に生きている我々は、世界に伍す成果を挙げるために実験室に閉じこもる事も任務としながら、この社会・世界の人々とどう関わるかに答えを探す任務も負っているといえよう。本学が教育・研究・医療機関であれば、教員・学生・職員の区別なく、人生を如何に生きるべきかという個人的な命題のみならず、この世界にどう献身できるか、あるいは、世界に貢献する人をどう作るか、すなわち本学の使命が果たされているか、あるいは、建学の理念が生きているかという命題が問われ続けているといえよう。
 
 建学の理念にある「国手的精神に立脚し」の「国手」とは、「国を医する手」の意味であるという。単に名医への称号ではなく、社会の現実に立脚した人生観を持ち、知性に満ちた倫理の徒として「この世界の人々の健康に殉ずる医師」を指すのであろうか。人を導く人でもあれば、自然の理、人の生み出す美にも無関心であって欲しくない。
 
 閑話休題。
本学もPh.D.を生み出す機関となった。満を持しての大学院開校であるからこそ、生み出ずるPh.D.は科学史にいうPh.D.であって欲しい。「真理」に迫る人であって欲しい。また、建学の理念にいう国手であって欲しい、と切に望む。また、そのような教育を行う使命に思いを馳せる。
数年後の学位授与式で、中世のアカデミック・コスチュームに身を包んだ若きPh.D.は、国手であり真理の探究者である事を自覚できるであろうか。