大学院生コラム 「どのような歯科医師になるか?」

硬組織疾患制御再建学講座・硬組織疾患病態解析学 社会人大学院 2011年修了 相澤 聡一

 どのような歯科医師になるか?私が考えるに大きく分けて下記の3タイプがあると思います。
①地域医療にひたすら貢献し、より精度が高く良い治療を提供する歯科医師。
②地域医療に貢献し、より良い治療を提供しつつ記録し報告することにより他の歯科医師や医師と共有し、多くの患者さんを救う歯科医師。
③ある疾患や構造に着目し徹底的に研究、発表し報告することにより世界的に患者さんを救う歯科医師。

私は、2001年に松本歯科大学を卒業した後、東京の某医学部附属病院 歯科口腔外科(以下医局)に研修医として入局しました。この医局はいわゆる「野戦病院」に近い診療科です。全身疾患を基礎に持つ患者さんを管理しながらの歯科診療、腫瘍や嚢胞の手術はもちろんのこと、3次救急を担う病院ということもあり重症の外傷の患者さんも搬送されてくるため他科と連携しながらの緊急手術もこなす必要があります。

当時、早く一人前の歯科医師になりたいと思っていた私は、迷わず入局し日々の診療に明け暮れ、5年の歳月がながれ、程度は低くとも、気付くと救命処置や全身管理を身につけ、手術や歯科治療をこなす歯科医師になっていました。そして、大学病院の医局員兼任で福島県の総合病院に歯科口腔外科の診療科を開設、歯科口腔外科部長として勤務しました。

私が学生の頃から目指す歯科医師は上記の②でありましたが、野戦病院的な医局では、研究部門の充実は期待できず、自分で状況を打開し、新しく道を造るしかありません。そのため、コテコテの臨床医である私は臨床を続けながら研究をする方法を、学生時代の恩師である長谷川博雅教授に相談したところ、本学の社会人大学院を提案して頂きました。そこから、私の社会人大学院生活が始まりました。

医局で月間の当直(夜勤)回数は5回、自分の病院の当直が4回、日曜出勤が2回の生活で、年間340日程度働いている自分が臨床医としてのレベルを下げず、社会人大学院生としてやっていけるかどうかは正直不安でした。また、東京を基点として、福島県や松本への半径300キロの通勤通学の距離も不安でした。しかし、自分がこの先に進んで行くのにはこれが必要であると信じ始めました。

大学院1年次は、月に1回程度の長谷川指導教授との論文に対するディスカッションと松本歯科大学の優れた教育システムである、週に2コマのDVD講義を聴講し、実験方法や倫理的観点を学びました。

2年次では、いよいよ研究テーマが決定し、実験をスタートしました。通学頻度は、月に2~3回、新宿から特急「あずさ」に乗って通学し、実験の内容は主に免疫染色を行ないました。実験計画は綿密に立て、翌日の自分の外来や手術に穴をあけない様、分単位で時間の管理を行い実験しました。実験の結果は東京に持ち帰り、比較的時間のある当直の時などに細胞の観察や集計を行ない評価しました。その評価を次回登校時に長谷川教授や優秀な松本歯科大学口腔病理学講座の先生やスタッフの方々とディスカッションし、更なる実験を計画しました。

3年次はこれまでの研究結果を集計し追加実験の施行と学位論文の作成を行ないました。

4年次は学位論文の完成と大学院の最終発表、学力試験、学位審査を通過し無事に大学院修了を迎える事が出来ました。修了に至り、今後の私の研究活動の方向性が出来ましたので今後の糧にして②の歯科医師に近づきたいと思います。

私の学位取得は非常に多くの方々の御力添えによる賜物です。長谷川教授が率いる松本歯科大学口腔病理学講座の先生方およびスタッフの方々、医局で私が通学のため抜けた日の患者管理を快く引き受けて下さった先生やコメディカルの方々、経済的な協力や研究に対する相談にのって下さった福島の病院の医師である院長先生やコメディカルの方々に深甚な謝意を表する次第です。そして、殆ど家に居ない私のフォローをしてくれた医師の妻にも感謝しています。

最後に、今後、歯学部や大学院を目指す方々は歯科医師免許や学位を目指すのではなく自分の輝かしい未来や歯科医師像を見据えて勉学や研究に励んで頂く事を期待します。

(2011.05.17)